roothx’s diary

ただの出来事

RADWIMPSのライブに行った

2022年1月19日水曜日

 もう2月になる。この日から、約1ヶ月が経とうとしている。

 ここからは、1月20日ライブ直後、余韻の残る中書いた私の作文である。

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 RADWIMPSのライブに行った。行ったというより、会場に行った。この日は、2022年初ライブになるはずだった。
 でも、ライブ会場の中に入るのは諦めた。何故なら、新型コロナウイルスの猛威がふるっていたからだ。
 このライブの日の前日の感染者数は、兵庫県だけで1645人。この日記を書いている今日だけでも、4293人。
 行かなくてよかったと思う。中に入らなくてもよかったとも思う。でも、こんな行く行かないの選択肢があるのは最低だと思う。RADWIMPSは、私の中で最初に音楽というものが好きなんだということを認識させてくれたバンドであり、手に届く距離に存在するのに、チケットなんてSNSがある時代どんな手を使ってでも、手に入るのに行かなかった。
 私は、まだコロナには罹っていない。私の家族もコロナには罹っていない。友達の友達は、コロナに罹っている。知り合いもコロナに罹っている。コロナなんてくそくらえだ。
 私は、グッズ販売の1時間前に到着した。そしてある人に会った。
 その人もRADWIMPSのファンだった。
 1人参戦のライブは慣れっこだった。写真も撮らず帰るライブもあった。でも、このライブは、撮らないといけない気がした。この写真は、私が勇気を振り絞って撮った。
 拳を突き上げた写真は誰でも撮れる気がした。
 でも、私を写さないといけない気がした。だから、その人にお願いした。
 その人は快くお願いしてくれた。遠目から見ると、その人は若かったけど、近くで見ると、年上のお姉さんだった。でも、私に親しく接してくれた。
 その人と写真の撮り合いっこをした。
 どういうポーズがいい?15周年だから、15の手のポーズにする?色んな提案をしてくれた。私は、タオルを精一杯広げるだけだった。
 その人は、広島から参戦したと言っていた。広島もコロナの感染者が多かった。あ、この人は、行くという選択をした人かと思った。
 私は、行かないという選択をした。でも、バンド垢のTwitterで参戦したようなツイートをした。そして、参戦したフォロワーを増やした。まるで参戦したかのような素振りをした。私はうそつきだ。
 私は、行かないという選択をして、行ったふりをしてよかったと思う。もし、行く選択をしていたら、あのお姉さんに会えなかったし、私を写した写真は撮れなかった。
 ネット上にあげる写真は、拳を上げた写真で、これをあげることで、私は、この記憶を中和できるような気がする。
 海馬の奥底に
 

昔観た映画の とある一コマだったか
それともこの命に繋がれた記憶だか
夢から醒めるたび この現は少しずつ
他人事みたいな眼で僕を煙に巻くんだ
神の戯れだけで産まれたこの命を
涙や後悔や 笑顔で飾り立てるも
何か足りない日々 目的地があるのなら
すぐに連れてってよ 何か言ったらどうだい?
あの名もなき雲は きっとすべて知ってる
それ以外何一つ語らずに 真っ白でいるはずがないだろう
君とならば歩める気がしてしまうのは
運命だとか恋路だとかそういうもんじゃなく
ただ 「初めまして」のその声が「ただいま」のように
懐かしくて恥ずかしくて 離れないからで
殴り書きのストーリーの 結末へと
なにか足りないんだ これだけ溢れてるのに
命を終える時は「完成」か「脱落」か?
次から次へとさ 立ちはだかる苦難苦闘
君らは悪役か はたまたエンターテイナーか
意味や目的など 見つかる気もしないけど
君がなってくれる それならば 何度でも 火の中でも
叶わない願いたちだけでできた毎日に
なおも奇跡起こそうと企む戦士たちが今
もがき抗うその中で上がる火花を
遠い彼方 神々たちよ 眺めてればいい
例え線香花火くらいにしか見えなくたって
構わないから
どれだけ世界が 悲鳴あげようと
次から次、悲劇を テーブル並べる
あなたはねぇ誰
君とならば歩める気がしてしまうのは
運命だとか恋路だとかそういうもんじゃなく
ただ 「初めまして」のその声が「ただいま」のように
懐かしくて 恥ずかしくて 離れないからで
殴り書きのストーリーの 結末へと

海馬/RADWIMPS

 

 ここで私の作文は完結である。最後の曲は、RADWIMPSの曲であるが、歌詞をつらつら並べることで、大そうな文字稼ぎをしているなとその時も感じた。

 最後の海馬の奥底にという文章は、その当時は、我ながらうまく締めることができたと思っているだろうが、今はただただ恥ずかしい。

 あの日から、今日まで、月日が経って、私自身にもいろんなことが起こった。

 出会って1ヶ月の神奈川の彼からは、音沙汰がなくなるし、新しく教習所にも行った。会う約束もしたから、前もってその日は空けておいた。

 音沙汰がなくなった後に出会ったご近所の彼は、出会ってから1週間だが、楽しい日々が待っている。今度の休日に映画に行く約束もした。

 今日は、みんなで集まらないかとグループが盛り上がった。私は、乗り気ではない、コロナだからではなく、ただただあの集団と打ち解けたくないのだ。

 この日常もいつか恥ずかしくなる日が来るのだろうか。この気持ちもいつか晴れる時が来るのだろうか。

 最後まで読んでくれた方ありがとう。

 最後に、

 RADWIMPSのライブは、いつ行っても最高だ。これだけは言いたい。この締めは、いつ振り返っても共感が得られるだろう。